人生の議事録

やっていることとか、考えたこととか。

絵を描くようになったきっかけ

小学2年生から高校3年までほとんど野球しかしてこなかった。まさか自分がプロ野球選手になれるとは思ってはいなかったが、野球以外のことを考えるのがめんどくさかった。高校のころはベンチにも入ることができないくらいのレベルだったので、技術的には下の下。

 

勉強に関してはもっとひどかったかもしれない、得意教科は何一つなかった。どの教科も平均くらいだった。そう、典型的な勉強ができないタイプだ。そして高校生になっても、まともに絵を描くことなく過ごした。というより、絵に全く興味がなく、描きたいと思ったこともなかった。絵を描いたといえば思いつくのが、小学生、中学生のころに書いた人権ポスターや喫煙に関するポスターだけだ。その時も誰もが思いつくような当たり障りのない絵を描いていた。

 

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こんな感じ。

 

野球も勉強も中途半端な私は、親の強い希望もあり、大学に進学することになった。当初は就職をしたい!と希望していたが、もっと広い世界をみろ。という両親の助言のもと、大阪の大学に行くことになった。(もちろん5流大学)結果的にその判断は正しかったのかもしれない。地元にいては到底できないようなことをいくつも経験させてもらった。

 

絵を描くようになったきっかけは、失恋だった。

当時、20歳だった私は、当時17歳の同じアルバイト先の女の子に恋をした。今思い返しても可愛かったなあと思う。そして彼女は私の初体験の相手だった。なので非常に思い入れも強く、まあ、要するにめちゃくちゃく好きだった。彼女はバンドマンだった。いつもギターを抱えて私の住むマンションへ遊びに来た。そして、真っ白で小さな手を精一杯開いてギターを弾いて聴かせてくれた。

 

クリスマスを控えた12月の始め、私たちは、京都に遊びにいこうと計画をしていた。もちろん行くのはクリスマス当日。恋人と初めて過ごすクリスマスにテンションは最高潮に上がっていた。どこを観光しようかとか、何を食べようかとか、サプライズとかやってみようかとか。どうやったら彼女が楽しんでくれるか?というので頭がいっぱいだった。

 

さあ、いよいよ来週はクリスマスだ。とそわそわし始めたころ、彼女から連絡がきた。

 

「京都いけなくなった」

 

人生の中でベスト5くらいに入るこの嫌な思い出は、なぜいけなくなったのか?という理由さえ思い出すことができない。無意識的に脳が記憶を奪い去ってしまった。

 

大学は割と真面目に行っていたので、単位に関しては全く問題がなかった。そもそも5流大学なので、勉強しなくても単位はとれる。勉強もしなくていい、恋人との予定も無くなった。そんな私をヒマが襲ってきた。当時は本当にやることがなかった。逆に今思い返せばもっといろんなことをやっておけばよかった。

 

彼女に予定をキャンセルされたという悲しさと、「ヒマ」を別のエネルギーに変えるため、何か作ってみよう。と思ったのが絵を描くようになったきっかけだった。そして絵を書いてみると、今まで経験したことがないくらい集中した。そして時間を忘れるくらい書いて書いて書きまくっていた。まあ、厳密には書くというか「消す」方に時間をかけていたのだが。

 

そして出来上がったものを友人たちに見せると、「え?これお前が書いたの?」と驚かれることもしばしば。決して才能があるとは思えないけれど、俺でもやればできるのか。と自信をつけることができた。特に大学生の頃は何もやってこなかったので、人に褒められることがなかった。それだけに嬉しかった。

 

それからはというと、基本的にはパソコンで(ペイントで)絵を書いていたのだが、途中からは飽きて、木の板に絵を書くようになった。残念なのはその木に書いた絵をすべて捨ててしまったこと。当時はこんなガラクタ残していても何の得にもなりゃしない。と思っていたが、今思い返せば、いい思い出なので残しておけばよかったなあと思う。

 

今から、6年くらい前の話でした。