とりあえず間違ってはいない
昨日は会社の新年会。
昨年なぜか恒例のビンゴ大会の司会を総務から依頼され、今年もオファーが来たのでやることになった。
ちなみに僕は、そんなにというか全くと言っていいほど、はっちゃけタイプではなく、どちらかというと隅っこで傍観していたいタイプだ。
また、前に出るのが億劫なので、ビンゴしても「全然あたんねーよ」とか言ってひと芝居うったこともある。
まあでも、いざ司会をやるとなったら、やっぱりある程度は盛り上げないといけない訳で、ドンキで買った「今日は俺が主役」みたいなことが書いたタスキをかけ、メガホン片手にそれなりに役に入りきることはできるし、別にそれが嫌なわけでもない。
「やるしかない」モードに入ったら結構強いのかもしれない。
そんな僕の特性を知っている訳ではないと思うが、総務になぜ今年も僕を司会に選んだのか聞いてみたところ、真っ先に出た答えは
「言いやすいから」
だった。
これには結構びっくりした。
なぜなら、僕は普段総務とほとんど会話をすることがないからだ。
席に関してはそれなりに近いが、仕事をするにあたってはほとんどと言っていいほど接点がない。
やりとりと言えば、たまに「これ印刷お願いできる?」とチャットで会話をするか、電話のとりつぎをするくらいのもので、全く会話が発生しないときだってある。
また、僕は普段から積極的に話をしないタイプなので、総務から話かけてこない限り雑談をすることもない。
普段あまり会話をしないにも関わらず、新年会の司会は頼みやすいとはどういうことだろうか。
いや、違うな。
「言いやすい」というのは「話しやすい」ではなく、僕がイエスマンなので、多分あいつだったら、断らないだろう。
そういう背景からの「言いやすい」だ。
もし他の人に依頼して、断られたらめんどくさいし、一番可能性の高そうな人を探した結果、僕のところに依頼が来たわけだ。
でもなんかそれでもいいかなとも思う。
だって「人から求められる、需要がある」って素敵やん。
だから求められていることを大切にしたいなってことを考えた新年会でした。
あれ、行き当たりばったりで書きすぎて、タイトルと全然違うところに着地してしまった。
まあ、いいか。
おわり。