詐欺師にがっつり騙された話①
嘘のようなほんとの話。
大学入学
高校までの18年間を振り返って感想を言ってください。
と質問されたとすると私は間違いなく、「野球だけをやってきました。」
と答えると思う。
それくらい野球しかやってこなかった。
当時は自分には野球以外の選択肢なんてないと思っていたし、何より野球以外のことを考えるのがめんどくさかった。
地元の仲の良い友達もみんな同じように野球をやっていたし、小学生の頃から授業が終われば野球の練習をする。というのが日常だった。
2011年の夏、高校三年生だった私は野球人生に終止符を打つことになる。
チームは県予選の3回戦で負けた。
私はその様子をレフト側スタンドでメガホン片手に見ていた。
試合終了のサイレンが鳴った時も、監督さんが最後の挨拶をするときも、涙は一滴たりとも流れなかった。
当時はなぜ涙が流れないんだろう?と不思議に思っていたが、今思うと本気で野球がうまくなりたい、本気でレギュラーになりたいと思っていなかったので、悔しくなかったんだと思う。そう、私は負けず嫌いじゃないし、全然熱い方でもない。
今までの18年間は野球の練習をしてうまくなる、レギュラーになることが一応目標としてあったが、それが一気になくなった。
野球をやっていた頃は、野球のない人生を強く望んでいたにも関わらず、実際そうなるとこんなにもつまらないものなのかと思った。
自分でもびっくりするくらいやることがなかったし、何をしていいのか分からなかった。
結局、野球を引退した後の半年は勉強や他のスポーツ、趣味に没頭するわけでもなく地元の友達とボーリングやカラオケと言った娯楽にお金と時間を費やした。
しかし、高校3年生なんてものは一瞬で、いつのまにか就職をするか大学に行くかの2択を選ばなければならなくなった。
家に大学に行くお金なんかないと思っていたので、迷わず就職の道を選んだのだが、それだけはやめてほしいと両親から説得され、流されるままに大学に進学することにした。
恐らく両親は自分たちの収入が低い原因が大学に行ってないからだと思い込んでいたから私に大学進学を進めたのだと思う。
しかし、今までまともに勉強なんてやってこなかったので、行ける大学は限られており、簡単に言ってしまえば適当にマークシートを塗りつぶせば合格するような大学に入学するしかなかった。
このとき人生で初めて勉強しとけばよかったと思ったが、時すでに遅しとはまさにこのことだった。
大学の入学式は今でもよく覚えている。
なぜならここではもう野球をしなくてもいい、自分の好きなことをして生きていけばいいのだ。と人生の第二章が始まったと今まで経験したことがないような清々しさを感じていたからだ。
自分が知っている人は誰一人としていない、新たな人生の始まりだった。
そんな希望に溢れた持ちもすぐに薄れていくことはまだこの時の私は知らない。
退屈
大学生活にもある程度慣れ、半年が経過した頃だろうか。
それなりに友人もでき、授業も人並みに出席していたので、単位も全く問題はなかった。
しかし、1つ大きな悩みを抱えていた。
いつもと同じ友だちと他愛のない会話をしたり、ゲームをしたりカラオケに行ったりする毎日が退屈だった。
刺激に飢えていた。
大学では野球とは無縁の生活を送っていたので、胸を張って得意と言えるようなことは何一つとしてない。だから余計に無味無臭の面白さのかけらもない大学生だったと思う。
しかし、そんな無味無臭の私にも大好きなことがたった一つだけあった。
ファッションが好きだった。
地元にいた頃は、自分の服装を気にしたことなんて一度もない。
オシャレをするといってもいつもジーンズにパーカーだったし、地元で遊ぶときはジャージ以外を着る必要がなかった。
しかし、初めて地元を出て都会の街並みを歩いてみると自分の服装がみすぼらしく感じた。と同時に自分以外のすべての人の服装がオシャレでかっこよく見えた。
そこからというもの、気になったファッション雑誌を片っ端から購入し、全く同じブランドの服を買うにはお金が足りなかったので、似たようなモノを古着屋で探すことが趣味になっていた。
雑居ビルの中にあるいかにも怪しげなショップにもよく足を運んだ。
行ったことがない古着屋を探すことが楽しかったし、服を選ぶこと、服を着ることがなにより幸せを感じる瞬間だった。
野球以外でここまで何かにのめり込んだのは初めてだった。
就職活動
大学生活は本当にあっという間で、気が付けば22歳。
来年になると、就職し働かなければならないが不思議と焦りや不安はなかった。
というのも周りの連中も特に就職については焦っておらず、「なんとかなるでしょ」という空気感で、友達と将来どんな仕事につきたいとか、どんなことがしたいかという具体的な話をすることはなかった。
22歳になった私は相変わらずファッションのことで頭がいっぱいだった。
将来は服飾関係の仕事に就きたいとは思っていたが、具体的にどんな仕事がしたいかとかはなかった。
ただ、販売員だけはやりたくないと思っていた。
毎月沢山服を購入していたので、多くの販売員さんと仲良くなっていたが、その仕事になんの魅力も感じなかったからです。
すごく悪い言い方になってしまうが、洋服屋さんって土日を除いてはそこまで多くのお客さんが来るわけじゃないと思うんですね。多分ですけど平日は一日に30人くらい来店したら多い方じゃないでしょうか?(これも洋服屋さんによると思いますけど)
そして30人来店したとしても、1分くらいで店を出る人もいるだろうし、恐らく半分の15人に接客できればいい方だと思う。
それを考えるとどうしても私は「ヒマな仕事」という印象を持ってしまった。
じゃあ、一回洋服屋で働いてみろよ。っていう話ですが、それすらも時間の無駄じゃん?と考えていた。
じゃあ、どんな仕事がしたいの?と自分に問いかけていくうちに、漠然ともっとクリエイティブな仕事がしたい。
そう思っていた。
当時は服の組み合わせ方に興味があり、自分なりに研究していた。
気が付けば将来はスタイリストという仕事に就いてみたい!と思うようになっていた。
奇跡
販売員にはなりたくない、もっとクリエイティブな仕事がしたい、可能ならばスタイリストになりたい。
と思っていた私は ある行動に出る。
かなりダメ元ではあったが、当時大流行していたmixiというSNSを使ってスタイリストの師匠を見つけることはできないか?と考えた。
そこで、トピックの検索窓に「スタイリスト 募集」と入力し、アルバイトを探しているスタイリストがいないか検索してみることにした。
ほとんど期待はしていなかったが、なんと20件もヒットした。
まさかこんなに多くの書き込みがあるとは思ってもいなかったので、私の中の期待はどんどん膨らんでいった。
片っ端から書き込みを見てみると、さっきまでの興奮がどんどん冷めていくのが分かった。
というのもアルバイトを探しているのはほとんどが「東京在住」を条件にしているものだったからだ。
それでもやってみようかと思い、一瞬携帯を手に取ってみたが、流石に交通費にお金がかかりすぎると思い電話をかけるのをやめた。
まだ目を通していない書き込みは僅かで、「人生そんなに簡単にはいかないか」と諦めかけていたその時だった。
なんと私が住んでいる地域でアルバイトを募集している書き込みがあった。
「現在2名募集中。すでに1名は決まっているので、募集が終了している可能性があります。」
と書いてあったのでとにかく急いで電話をかけることにした。
もしかしたら夢に一歩近づけるかもしれない。
そんな思いを胸に心臓が爆発しそうになるのを抑えながら、コールボタンを押した。
「プルルルル。プルル。ガチャ。」
思ったよりも早く、2コール目で相手は電話に出た。
続く。