人生の議事録

やっていることとか、考えたこととか。

27歳独身・フリーター・アダルト業界

27歳独身

いつの間にか27歳になってしまった。今までこれといって得意なことはなく、学生時代では得意科目とかもなかった。唯一、一生懸命やった野球も平均以下のレベルで高校ではベンチにさえ入ることができなかった。

 

両親から「世界が広がるから」と言われて入った大学は何かに打ち込む訳でもなく、普通にバイトして普通に遊んでいるだけの普通の大学生だった。今でも考えることは苦手だが当時はもっと苦手だった。高校卒の両親の「世界が広がるから」という言葉を何の疑問も持たずに信じてしまったのだから。

 

そんな平凡な大学生には平凡な就職先しかなかった。そもそも当時は就職をしないという選択を考えていたのだが、大阪まで来て大学までいって就職をしないという選択が両親に対して「申し訳ない」と感じてしまい、仕方なく就職活動をし、ブライダル専門用品を取り扱う営業マンとして働くことになった。

 

とりあえずで選んだ就職先では、毎日のように叱られ、毎日のようにため息をつく日が続いた。おそらく1,000回くらい「辞めたい」と思った頃だろうか。約1年半後に退職届を出した。

 

フリーター

25歳でなんの能力も持ち合わせていないまま、フリーターになってしまった。当時は自己啓発系の本を沢山読んでいたせいか、焦りや不安というのは全くなかった。むしろ「俺はなんでもできる天才だ」とちょっとやばい系の考え方をしていたように思う。

 

フリーター時代は、今まで自分が避けていた分野の仕事(アルバイト)をしようと思い、オタクショップ、ナイトクラブの世界に飛び込んだ。なぜ避けていたかというと、まぁ簡単にいうと馬鹿にしていたのだ。「オタク?きもいだけでしょ?」「クラブ?チャラい女と男がいるだけでしょ?」という具合に。

 

ではなぜ馬鹿にしていた分野の仕事をしようと思ったかというと、自己啓発本の影響で確か収入を増やすには、自分の苦手な分野に飛び込め的なことが書いてあり、それに触発されたことがきっかけだったと思う。

 

結局、オタクショップは4か月。ナイトクラブは1年半働いて辞めた。

 

このフリーター時代もう一つ仕事をしていた。すでにアフィリエイターとして成果を出していた友人のもとで、SEO関連の手伝いをするというものだった。この出会いは、自分の人生の中でも大きなきっかけだったように思う。なぜなら、営業職を辞めたあと、アフィリエイターとして成功しようと思っていた矢先だったからだ。

 

WEBディレクター

友人の下で行う作業は、非常に楽しかった。すごくクリエイティブなことをやっているように思えたし、何より当時はすごく売上が良かった。自分自身はワードプレスでサテライトサイトを作ったり、海外のサイトからドメインを取得するなど、雑用しかしていなかったのだが、最先端の仕事をしている気になっていた。

 

当時は人間的にすごくキモかったと思う。仕事で悩んでいる友人に対して、成功者のような立ち振る舞いで相談に乗ったこともあった。まさに井の中の蛙状態だった。

 

アルバイトを掛け持ちしながら、友人の下でアフィリエイトの手伝いをする仕事もそう長くは続かなかった。そもそもSEOと言ってもガッチガチのブラックSEOだったため、ペナルティをくらったのだ。4つ以上の上位サイトが一気に飛ばされ、売り上げは一瞬にして3分の1程度まで落ち込んだ。

 

給料を支払えなくなるくらい売上が落ちたので、友人の下で働くことができなくなってしまった。

 

さてどうしよう...

 

ブラックSEOしか知らないし、そもそもサテライトサイトを作ったり、ドメインを取得したり、被リンクを送ったりという作業しかしてこなかったため、企業で使えるような知識は持ち合わせていない。SEOと並行してYahooリスティングも半年くらいやっていたが、20,000円程度しか売上を作ることができなかった。もちろん赤字運営だった。

 

普通なら結構焦るところだと思うのだが、当時の自分はというと、やっぱり全然焦っていなかった。むしろ、毎月○○百万円の売上を作るサイトを運営していたのだから、絶対に俺を必要とする企業は沢山あるはずだ、おれのサクセスストーリーはこれからだ!

と、そんな感じだった。

 

要するに、鈍感なアホだったのだ。ただ、今思うと「鈍感さ」というのは時に武器になりえるなと。なぜなら、その後の転職活動には、あまり苦労しなかったからだ。企業を選ばなかったからというのはあるのだが、2週間程度であっさり次の就職先を見つけることができた。

 

飛び込んだのは、「アダルト業界」だった。